2021年12月10日金曜日

耕さないについて

〇〇してはならない

の弊害。言葉は道具。道具には使い道と欠点がある。

”〇〇してはならない” 禁止、という言葉は、〇〇すべきというべき、と同じ欠点があるようで、オールオアナッシング思考という罠にはまりやすいようだ。

まじめさ、というのは良い資質だが、自然農の、”耕さない”を禁止令として受け取ってしまうと、多年生植物であるカラムシの根を掘り起こしたくらいで、「あー、あの人耕している」と白い目で見られることになってしまう。自然農の教祖川口さんの本にも、”宿根は取り除く”と書いてあるにも関わらず、だ。

農薬も同じで、日本では、食酢も木酢液も、”農薬”なのだが、捕殺以外の手段で虫に応じることは、ほぼ禁止みたいなことになっているのが自然農なのだが…そこには思考停止という害があり、私の野崎2号にだけ、カブラバチの害があり、密植している隣の大根には全く害がないというのが、誰に聞いても分からない。

一般的には、窒素過多、というのが答えだが…自然農28年の何も入っていない土地だからなぁ。最近まで草ぼうぼうの…。まぁ、白菜を密植するのは良くないという経験値になったからいいのだが。
虫や病気に対する防除という意味では、思考停止という弊害が出ているのが自然農。虫や病気を作らない土壌や畑生態環境をつくることがそもそもの自然農の目的と思うが、そのために何をするべきか?というところでは、何もしない、ただやられッパ、ということになってしまっている。

野崎2号は、来年もやってみて、うまく行かなかったら、品種が合わないってことだろうな。
土壌が悪いというのは、松国では考えにくい。大根の葉がどれくらい繁茂したら、窒素過多なのか?分からないが、大豆は松国では取れないので、土壌全体が豊かすぎる害が出ていることは確かだと思う… 

土中に窒素が合っても、他の微量元素がないと作物は土壌の窒素を利用できない。

なので、私の考えでは、海水100倍でミネラルを与えるのがいいのではないかと思う。

あと、自然農の人が進化を辞めてしまったのは、たぶん、禁止令のせいだと思う…

しかし、耕してはならないを厳格に実践しようとすると、宿根だろうがなんだろうが、草を刈っては敷き、刈っては敷きしないといけなくなり、結果的に行為としては、”草を敵とする”かのように出ては刈らなければならなくなり、手間ばかりがかかる農法という結果になってしまう…そこを根性で乗り越える、という根性論的解決法が年配の人には人気だ…育ちのプロセスで受けとった価値観と似ているからだろうと思うが…

そのような思想では今後の日本の人材難は乗り越えられないだろう…そもそも農業に資本投資、時間投資しないで済む、安上がり農法こそが求められていることだからだ。

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