日曜のG’sアカデミーのアイディア試験(起業アイディアで入試を競う)がハイライトであることは分かっていたのだが…、松国の集合日とバッティングしていた。
この2時間のズーム会議の後…なんだか、諦観というか…そのような感情が湧いてきて、かなりブルーだった。
そうか、私の居場所はソフトウェア業界…開発室にしか、なかったんだ…というか…。
これだけ頑張って、結局ここか…みたいな。消去法で行くと、もう開発しか残らないのか…みたいな。
ので、残念感があり…松国に行くのは辞めようかとすら思った。ブルーな気分にどっぷり浸ってしまうのも悪くないかと…この楽しい時間の終わりへのはなむけとして…。
しかし、松国で今日は何をするんだろう…?田植えも終わり、除草も終わり、この時期すること、何もないんだけどなぁ…
というので、行く気が失せかけてはいたが、そこは自分に厳しく、鞭打って、ガソリン代を気にしながら向かった…。そう、核心はガソリン代なのです…
道すがら、風で倒れてしまった田んぼが目につく…稲刈りを済ませた田んぼもすでにあるようだ…。
到着すると、自分の初めてのお米がすでに穂を垂れており…すごく誇らしい気持ちになった。
多種多様な品種が植えてある自然農の田んぼと、モノカルチャーの普通の田んぼの差が著しかった。本来の在り方から、こんなにもかけ離れてしまったのか…ということだ。
途中、2つの台風で風倒してしまった田んぼもたくさん見かけた…慣行農法のイネは、災害に弱いことで知られている… 本当なんだな…。
モノカルチャー画一文化は、植物でさえもダメにする…。つまり災害に弱くなる。
それなら、これが動物界、そして人間界だったら、どういうことになるだろう?
つまり逆境に弱くなる…のであるのなら、人間に置き換えたら?
人間だって、レールを外れた時、敗者復活力が弱い、ということになりはしないだろうか…? ”いわれた通りやりなさい”で育つこと…田んぼで言えば慣行の田…の弊害と同じことが、今目の前の田、に見て取れた…
それと比べて、なんと、自然農のたんぼの多様なことだろう!そして美しいことだろう!
見ていたら、G’sアカデミーで出会った一人の参加者のことが思い出された…。サッカーで世界に伸びた若い男性だった。日本の田舎の閉塞的な空気を変え、日本の子どもたちに、キミだってやればできる!という機会を与えたいのだそうだ…例えば、サッカーのエリート選手から直接指導がもらえる、というようなことだ。
彼は、求めよ、さらば与えられん、ではない現実があったのだそうだ…。それに恨みを持っている。
”求めよ、さらば…”で、”何も与えてもらえなかった”、ということで、彼の無念さが伝わってきた…。
が、そのアンチテーゼから、作り出したい未来…というのは、彼の理想の世界をなんとなく空虚に見せていた…。なぜだろう?
例えば、10人サッカーに才能がある子どもがいたとする。その後、その子供たちが、全員、中田やカズになれるか?というと? なれない。
中田さんは何をやっているのか知らないが、超有名選手ですら、サッカー以外の事業をしないと生計が立たない世界…それで普通なのだ…サッカーばっかりでは産業が成り立たない訳なので。
事業としての、クライミングジムというのも同じで、基本的にはクライミングしかできない人たちの救済ビジネス、ということのほうが言葉として正しいかもしれない。だから、多くのジムは流行っていない。ビジネスとして取り組んでいるのではなく、自分を登らせてくれるためにあるからだ。
そういえば、福岡では、他にもサッカー選手崩れの人に会った…。コーチとしてやりがいを見出していらしたようだが…頂点がある世界に子供を引き込み、そして、その頂点争いから、つまり、椅子取りゲームから漏れると…? まぁ9割の子どもはどんなに優れていたとしても、漏れるのが当然なのだが…は、その子供に大きな心の挫折を与えるということが見て取れた…その人自身が挫折感満点だったからだ。
クライミングでも選手育成に躍起だが…そんなに選手ばかり育成してどうする気なのだろう?
入試にせよ、スポーツでの勝利にせよ、親や先生、コーチなど、大人の、ちょっとした名誉心を満足させるために、一時的な勝利を子供たちから、大人の側が与えてもらって…、要するに、大人たちのエゴ満たしに子供を利用して、恥ずかしいと思わないのだろうか…?
子どもたちの才能が、大人たちが生きる意味を見つけられないために、つまり大人がやりがいを感じるために、搾取されている、ってハナシです… 中途半端な才能がある子どもが大体対象になる。
頭角をあらわせるだけの十分優れた才能を持っている人というのは、大人の誰からも言われれなくても、その道で成功していけるものだ…吉田和正さん然り、小山田大さん然り、山野井さん然り、ユージさん然り… 彼らの時代は今よりもさらに環境は悪かったはずだが、圧倒的な才能を前に、環境はあまり問題にならないものだ。
…というのが私の見解だ。そういうこと…つまり大人に対する奉仕活動だが…に巻き込まれる子供が多すぎる… そのG’sアカデミーの彼もその一人に思えた。
考えてみれば、私の弟もそうだ。県大会レベルの選手でいくらメダルがあったところで、誇らしいのは、親ばかりで、今行っているスイミングスクールには、そういう若い先生が一杯いて、幼稚園生を水に慣れさせることで糊口をしのいでいる。もちろん、どのような職業も素晴らしいのだが、メダル選手でなくてもできること、ではあるだろう。
努力の先にあるものが、スイミングスクールで水泳を幼稚園生に教える、であったとしても努力をする価値があると彼らは思えるのだろうか…?話が違ったということにならないだろうか?
■ 松国
松国では、予想外に、楽しかった。草を刈っていると、甘く良い香りがし、いつまででも草を刈っていたいな、とすら思えてくる…草の中にちいさく、畔の枝豆がちょこんと実をつけていたときには、感動すら覚えた…。枝豆は豊かな土地では実をつけない。つまり、実はあきらめていたのだった。
みぞソバの中にカボチャの花はいくつも見える…けれど一向に収穫できそうなカボチャ本体は見えない…隣の今井さんが、カボチャについて教えてくれたが、もうカボチャは3か月近く土にいるわけだが…畑を占領してしまって秋の植え付けが…ということになっているんだがなぁ…こんなに面積を食って、何か月も畑に居座って、成果が1個、ということもあるのだそうだ…。咲いている雄花と雌花を確認してきたが…実になるのだろうか…それともいっそ…?
相変わらず私のホーリーバジルは成果が良い…ホーリーバジルは乾燥が好き、といったのは誰…?この雨の多い今年、良くできた作物は非常に少なく、トマトなどは全くダメ…ということからするとホーリーバジルの成果は驚くべき発見ということになる…まさか水が好きだったとは…
そうこうしている間に、日暮れとなり…惜しい気持ちで畑を出た。松国の美しい自然農園の中に住めたら、どんなに楽しいかと思うけれど… 私には未だに与えられない贅沢であり…ソフトウェアで、もう一旗揚げてきなさい、というのが神の声なのだろう…。
ソフトウェア業界か…200時間の超過勤務で体調を壊し、子宮内膜炎にもなったし、肌も体も心もボロボロなんだよなぁ…あの業界。しかも、勘弁してよという低レベルのことを何度も聞かれたり、まるで幼稚園生に対するように、何度も説明したりしないといけないんだよなぁ…。要するに、私はベビーシッティングをしたくなくて、業界を去ったのだった…。 だから、またそこに戻る=めんどくさいという気持ちなのだ…。とはいえ、神さまがそういうのだから仕方ない…。
■ クライミングよもやま話で癒し
帰宅すると、楽しくアルパインの話、クライミングの話をしてくださる方がいらして、とても心が和んだ。クライミング業界も問題は多い。特にセクハラ。
その間に、自分がFBに投稿した、田んぼへの、”いいね!”を見ていると…押してくれた人たちの善意を感じると…、じわじわと初のお米への感動が湧き、”わたしが作り出したい未来”は、すでにここに出現している、具現している、という気持ちになった…。
松国の隣に家があればいいのに… 自然農の農園付きのシェアオフィスがあれば、最高だなぁ。ちょっと開発しては、畑に出て、甘い草の香りをかぎ、ムカデにぎょっとし、芋虫にげーっと言う。
■ 美術館からのメッセージ
先日は美術館に行ったが、現代芸術というのは、結局のところ、解説がないと意味が分からない。メタファーを解説する解説能力とセットで確立するのが現代芸術、なのだ。
それと同じことで、慣行の田が現代の気候変動に対応できず、自然農の多種多様な生物の住む田んぼだけが、気候変動が避けられない現代における生き残りの道だと‥‥解説なしには、人々が理解できないとしても…それはそれで仕方のないことなのかもしれない。
同じことで、子どもたちを多様な才能を伸ばしてあげ、一つの頂点がある世界で育てないということ、レールに載せないということ、子ども自身に子ども自身をよりどころとさせること…これだけが、変化の時代に対応できる力を身に着けることである…というのが、今回のメッセージなのだろうか…
田は私に何を教えてくれようとして、今日は呼んでくれたのだろうか‥‥
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