の農薬の品質が高度化したり、あるいは、農家自身も死亡するリスクを背負ってまでは、農薬を使いたがらないです。
逆に肥料だったら、特に有機の場合は、誰からも文句が出ないので、ガンガン肥料を入れよう!というインセンティブが働いていると思います…
それは 良い野菜が何か?というビジョンが共有されていないからだと思いますが…。現代は、
糖度が高い野菜や果実
旬でない野菜、つまり、ハウスで育った野菜や果物には、ビタミン・ミネラルが少ないことが知られています。
草主体の中に野菜をおく自然農
自然農では、
草を敵としない、
のですが、敵としないというより、
草の中に野菜を居候させる
自然農が私がしたいことかもしれない…と今日は思いました。山登りをしているころから、”植物群落”に興味があり、群落はなぜできるのか?と長らく思っています…。
群落 = モノカルチャー
つまり単作の畑と同じ状態なのですが、
自然界が作れば繁栄
人間界が作れば無理
と、なぜ、こんなにも違うのか?自然界は、単作をなぜそんなに簡単にできるのか?土壌微生物に答えがありそうですが…自然界は、部分的ですがモノカルチャーを許しているのです…。
誰か調べた学者はいるのかなぁ… 心当たりがある人は教えてください…
■ 自然農の集合日でした。とてもいい日だった…。
那珂川でお米をしていて、去年少しお手伝いした亘君が、自然農仲間になって、とても、うれしい…。ただ、那珂川でやっていた方法が悪いわけではないので、自然農、だけが正解と思わないでほしいな、と思いました。
自然農、という農法は素晴らしい農法ですが、限界がないわけではないです…限界というのは、
1)前提が豊かな生態系がすでに築かれた農地を前提にしている
2)土地の生産力を自然界の摂理に任せている
の2点です。1)は、自然農はプラマイゼロ、の大地を前提にしているのですが…現代の農地、と言われる土地は、土地の有機物の収支としてはマイナスからのスタートなので、負債がある土地で収穫(ゲイン)があるはずがないので、いわゆる普通の農地では自然農はうまくできません…。当然です。
私が思うには、その当然の事態を根性、で超えることを期待されるため、なにか宗教的なところがある、と想像しています…つまり、神にでもすがらないと乗り越えられないのかな?と。
2)は終了の限界です。科学のことわり、として、自然農でも、当然、投入した以上の有機物以上の収穫はない訳なので…草を刈り過ぎれば収穫は減ります。手を入れた菜園より、放置して草ぼうぼうのところの方が、有機物のめぐり=生態系の循環が良好で、作物も結果として、良い、ということは起こりえます。逆に言えば、要れてないものはできない…ということなので、堆肥や肥料をいれない自然農では、
巡らせる技術
次第なことが良くあり、そこが難しさ、です。めぐらせる技術については、母なる自然界、よりも巧緻性があることはほとんどないのでは…?草を刈った私の畑の麦より、除草せず放置のおとなりさんのほうが成績上です…(><)
日本の伝統的なやり方での稲作は非常に合理的で自然農の稲作よりも実は合理的な面もあるかもしれないと思っています…。
自然農の稲作の欠点は、田植え、です。水を張らず、
いわゆる田植えみたいなスピード感で、苗を植えることができず、畑に植える野菜の苗を植えるみたいな感じでの田植えなので、えらい時間がかかります。とはいえ、1畝で30kgも取れることがあるので、生産の効率は大変良いですが…。
一端の田んぼを自然農の手法で田植えすると、普通の人は一か月くらい田植えに追われるかもしれません…
ただ、伝統的な手法で、5畝で30kgくらいしか取れなかった場合、1畝で同じ収量を目指せるなら、やってみる価値があるかもしれません。
さやいんげん、きぬさやの収穫 人参の収穫、アメリカフウロの収穫
ジャガイモ植え付け、
■次回
里芋、ショウガ、大豆、カボチャ、コットン、バジル、コリアンダー
■秋作のまとめ
秋作は、まぁまぁの出来でした。夏作のカボチャが居座って、なかなか種おろしができなかったのにも関わらず、とりあえず色々とできたので満足。
学びその①
自然農に適した作付けをする
そら豆。大根。菊芋、サツマイモ、カボチャ、菊菜。二十日大根。里芋。
学びその②
土地の質に合った作付けをする
里芋。ショウガ。湿度が高い土地に合っているもの。
学びその③
合っていないもの。白菜、ニンジン、玉ねぎ。寒い土地にできるものは、九州の温かい土地に合っていない。作ればできるけど、別に良くできるわけでもない。
去年の夏作で予想以上によくできたのが、ホーリーバジルでした。なのでホーリーバジルは栽培種としてもお勧めなのかもしれません。連作障害あるのかなぁ?シソ科だから大丈夫のような気もしますが。