今日は、松国自然農園で出会った柴田さんの農園を訪問した。”問いではなく、答えを生きる”ということの実践者が柴田さんだ、と思ったからだ。
自然農は自給農を基本とするが、その究極の在り方が、”水源保全人”とでも称したらいいのだろうか…?最上流の源流部を、無作法な除草剤という名の農薬散布から守る、という役目をはたしているものだということが分かった。
自給自足の方は、まぁ出来て当然、という感じだった。ごくごく最小限の手間しかかけず、食は確保するもの、住まいは草に侵され、荒れ果て、見捨てられたものを、これも、ごくごく最小限の手間だけかけて住めるようにする。そして、最大の時間を、水路の脇の草刈りだとか、長年放棄されたために葛などのつた類の絡み合ったヤブを払うことだとか、放棄された棚田の補修だとか、そういう”重要なこと”、に使う。
今日は、奥様は黙々と、放棄されたために果樹に侵入した2mほどのささやぶを刈り払う作業をしておられ、なるほど、と思った。こういうことができないと、中山間地は務まらない、ということだ。
時間は、今しかできないこと…つまり、こういうことに費やすのだ。ほとんどが土木工事のような作業になる。最低でも刈払い機は使えないと…。チェーンソーは男性なら必須かもしれない。それが分かった。こうした整備が終わるまでは、決して一息、とならないのだ。
一般農家は今の時期は農閑期だが、柴田さんは違う。なぜなら、私も登山で、やぶ漕ぎの山をしていたから分かるが、このくらい気温が低い状態でないと、開墾、なんて作業はやってられない…。4月はもう夏だ。あまり暑くない、この季節は忙しい。
春が来てしまったら、今度は畑の方が忙しくなる。そうなれば、ヤブ払いなどしていられない。
というわけで、農家の忙しくないときに遊びに行ったつもりが、超・忙しい時に行ったことを知ることになった…。そんな忙しい中、ケーキを焼いてくださり、自家焙煎のコーヒーまでふるまってもらい大感激だった…。
それにしても、広大な土地だった…。何度か引っ越してその度に管理する土地が大きくなったようで、それは、地域から、”この人なら任せられる”という、信任の大きさが形になったと言える。
そうやってどんどんと広げていったとしても、一人でやれる面積には限界が来る。実際、通りすがりに見た、もっと下のほう、つまり、優先度の低い場所…の植林や竹林は、手入れの良しあしの差が非常に大きく、悪いところはもうかなり来ていた…。
今回、思ったのは、鉄腕ダッシュ村は、楽しいだけでないということだ。大きな責任がついて回る。TVはそんなことは放映しない。柴田さんは多くを語らないが、かかる労働の大きさは、私がお山をやっているおかげで、だいぶ理解できた。
彼はおいくつだろうか…。40後半の私より少し上くらいかなぁ…。私は以前、働いていた奥八女の最終集落にある茶農家で、屋敷と畑を譲り受けた30代の男性は、よくやっているなと思っていたが、全然サボっていたことがよく分かった。できることの半分もしていなかっただろう…。もちろん、人は自分でしたいことを決めて良いのだが…。
最終集落というのは別天地で楽園だ。だが、放置していることはそのまま、土砂災害の危険が高まる。労力を投下するなら、集中すべきは源流部、ということか…。実際、家が一軒流されたそうだ。
自然農の適地を求めるはいいが、そのトレードオフでもある、山間地に住むことの責任の重さを感じた。標高2400の山小屋に暮らした時は、小屋に住む人たちのあまりの責任感の無さのほうに腹ただしかったが、この標高300の、今にも崩れそうな民家で、どんな挑戦が行われているのか?理解した。理解できる力ができていた良かった、と思った。
これは、都会のファッション農業の人はお呼びでないよってことだ。ファッション田舎暮らしの人もだ…。何がファッション田舎暮らしで、何がファッション農業なのか?それも分かる。
私の自然農が、おままごとレベル、と言われても、まぁ、その通りだ、としか言えないだろう…と思うが、それでも、まだ畑に水やりしないといけないと思っている人たちと比べたら、まぁ、だいぶ違うわけだ。
理解には、色々なレベルがあるが、畑におしゃれして来るというレベルは、抜けていてよかったなと思った。
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